チャイム 2013年春 首都圏版
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794年以降,日本の都であった平へい安あん京きょう(現在の京きょう都と)は1000年以上も栄えてきました。しかし,それ以前の奈な良ら時代には,聖しょう武む天てん皇のうが平へい城じょう京きょう(現在の奈良)のほかにも,ひんぱんに都を移しました。なぜ,天皇は都を移したのでしょう。奈良時代の都の移り変わりと,都を移した理由を調べてみましょう。都が移る理由年組名前小学校6年 社会科● 奈良時代の都の移り変わり● 奈良時代の天皇が都を移した理由 右の地図を見て,次の( )にあてはまる都の名前を書きましょう。平城京藤原京→→→→→紫し香が楽らきの宮みや恭く仁に京きょう難なにわのみや波宮(① )(② )(③ )●紫香楽宮から平城京へ●長岡京から平安京へ742年 聖武天皇は紫香楽宮に大仏をつくることを命じる。しかし,火事や地じ震しんなどの災害が起こり,3年後の745年に,平城京にもどした。785年 桓かん武む天皇と親しい役人が建設中の長岡京の工事現場で亡なくなり,数年後,天皇の母や妻が亡くなる。9年後の794年に,桓武天皇は都を平安京へ移した。東大寺 蔵奈良時代・平安時代のころの都の場所聖武天皇都が移された理由を調べることで,奈良時代の人々は,目に見えない力を信じていたことがわかりますね。怨霊から都を守るために,都を移したなんて,今では考えられないね。01020㎞紫香楽宮【745年】し が らきのみや恭仁京【740年】く に きょう平城京【710年・745年】へい じょうきょう平安京【794年】へい あん きょう長岡京【784年】なが おか きょう難波宮【744年】なに わの みや藤原京【694年】ふじ わら きょう紫香楽宮【745年】し が らきのみや恭仁京【740年】く に きょう平城京【710年・745年】へい じょうきょう平安京【794年】へい あん きょう長岡京【784年】なが おか きょう難波宮【744年】なに わの みやふじ わら きょう藤原京【694年】平安時代奈良時代奈良時代,地震などの自然災害や,親しい人の死などは,「怨おん霊りょう(亡くなった人のうらみ)」によって引き起こされると信じられていました。聖武天皇も桓武天皇も,怨霊のえいきょうを受けない土地で政治を行いたかったのです。

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